午前4時/発言の責任をとろう

書いていたのが全部消えてしまった。まじめに生きてきたのに。

また文章がまわりくどいといわれた。〜というべきなのかもしれない、などの文末表現について。これまでは慎重さゆえだと思ってきたが、それだけじゃない。発言の責任を取らないようにしているのだ。突然気付いて嫌になった。

面倒や衝突を避けるためだけに、発言のなかに自分の責任を回避する意味のものをしこむことをもう何年も続けているせいで、様々なことに責任感があらわれない。まず他人の意見や動向を見て、流れはこういうものっぽいと判断し、それを行動の原因にしがち。この傾向は前から分かっていて、協調性協調性だの、個人をとりまく環境もじゅうぶん個人そのものを反映しているだの、そういう甘い言い訳をしてきた。

今頃この言い訳にあらわれる甘さに不満をもちはじめたのは、個々の重要な場面において責任をもった選択ができないと、生活にハリがないな〜、と思い始めたことと関係があると思う。人に話すべきことが何もないのはつまらない。価値観が多少変わったのだ。自分の過去の傷つきと向き合うのをしなくなり、自分がどうしたいか考えることが増えたからだろう。過去の傷つきのことを考えた時間も多様性の大事さや他人への配慮の仕方など学ぶことは多かったから後悔はないが、今は、自分がどうしたいか・どうありたいかを考えはじめる時期なんだと思う。

だから細かい言葉遣いに自分の無責任を見出して腹を立てたのだろう。責任をとれないことはしないようにしようと回避するばかりではつまらない。そういうことばかりして優しいと思われているのではみっともない。いい機会だから、とりまく環境にのまれないように気を強く持っていきたい。